1945
京都・村田グループ、八十一年の社史より
一枚の、ものがたり。
服の裏側で、名前も出さずに。
幕を開ける

第壱幕
1945昭和二十年 九月
焼け跡に、インクの匂い。
戦争が終わった、その翌月のことである。
京都に、紙とインクの匂いが戻ってきた。
村田博明、印刷デザイン企画業を創立。
売るものは、まだ何もない。
あるのは、刷る技術と、京都の紙だけだった。
— 社史 第一行「昭和二十年九月 印刷デザイン企画業創立」

第弐幕
1961昭和三十六年 八月
初代の代表は、八重子。
十六年後、屋号は会社になる。
村田精版印刷株式会社、設立。
初代代表取締役の名は、村田八重子。
戦後の京都で、女性が印刷会社の代表に立った。
社史はそれ以上を語らない。
けれど、この一行だけで十分だと思う。
— 社史「代表取締役に村田八重子就任」

第参幕
1974昭和四十九年 一月
色は、深くなる。
二代・村田紀明。八重子は会長へ。
同じ年、村田グラビアを設立する。
凹版に溜めたインクが、紙に移る。
グラビアの色は、オフセットより深い。
服の裏側の一枚にも、その深さを使った。
— 社史「株式会社村田グラビア設立」

第肆幕
2004平成十六年 一月
印刷機は、海を渡る。
四代・村田彰信。
服の生産が海を渡るなら、その裏側も渡らなければならない。
広東。ホーチミン。プノンペン。
京都で決めて、アジアで刷る——
いまの形が、ここで生まれた。
— 中国・ベトナム・カンボジア 自社工場
第伍幕
2026令和八年 いま
年に、十八億枚。
いま、四つの工場が織り、刷り、押している。
合わせて、年におよそ十八億枚。
日本人ひとりにつき、十五枚になる勘定だ。
あなたの服の内側にも、きっと一枚。
名前は出ていない。それがムラタの仕事である。
— 各工場公開値の合算(81年間、誰も足していなかった数字)

終幕
2027そして、これから
物語は、一枚の中へ。
八十一年、名前は表に出なかった。
次の八十一年も、たぶん出ない。
それでいい、と思っている。
ただ、これからの一枚は少しだけ違う。
素材の産地を、縫った工場を、辿った道のりを——
服の履歴を、あの小さな一枚が運ぶ時代が来る。
刷るのは、京都の私たちだ。
— EU デジタル製品パスポート(繊維・2027 委任法採択見込)
この物語の登場人物は、
あなたのクローゼットにいる。
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